2017年12月11日月曜日

シンプルに言えるといい。

昨日は一本杉のみんなと忘年会。
楽しかった。飲み過ぎたなぁ。
最後、締めの挨拶を求められて、
自分の口から酔いに任せて不意に出た言葉に、自分がその意味を後から考えさせられる。
「どれだけ言葉を尽くそうとしても、どうしても浅くなるから、言葉はなるべく少なく、シンプルにしたい。」
この一年みんなと仕事ができて楽しかった。本当にありがとう。
この一言さえ言えればいい。

他にたくさん伝えたい気持ちはあるけど、他の言葉を重ねれば重ねるほど、気持ちが言葉に引っ張られる。
その場で言葉に表せることなんて、伝えたい感謝や思いの総量からしたら本当にちっぽけなのに、言葉にするとそれ以外の言葉にならなかったものが影に隠れる気がする。
伝えたい相手も、そしてそれを口にした自分も、言ったこと、言い残したことにとらわれる。言葉は便利だけど不便だ。

様々な人と交わって、
自分の思いをなるべくわかりやすく誤解のないように言葉にして伝えることが必要だと感じたこともあった。そして、いくら言葉を尽くしても伝わらない人には伝わらないし、伝わる人には、シンプルな言葉でより深く伝わる、と学んだ。
自分も、今までお世話になった方々から、言葉以外で伝えてもらっていたことが沢山あったんだと改めて思った。改めて当時を思い起こして、今更になって気付かせてもらうこともある。あぁ、あの時のあの言葉の奥には…って。

自分もそういう風に言葉を扱えるようになりたいな。言葉を尽くすより、シンプルにする方が難しそうだ。ただ口数を減らせばいいってわけじゃない。
相手に伝えようと練りに練り上げた思考を、吐き出さずに解体再構築して、削ぎ落として一言に込める。
賢明で無口な人の頭の中は、見た目には静かでも、実は物凄い速さと量の思考が廻ってるのかもしれない。

2017年11月20日月曜日

ZOMArket終わり。

今年最後のZOMArketが終わった。
最後は晴天に恵まれ、マーケット日和のいい一日になった。

今までの形のZOMArketは、今回で終わりにしようと思う。

物事を考える時、
目的から手段を逆算して建設的に考えて結論を出す時と、
直感の中に結論が先にあり、それを信じてその理由を考える時がある。
今回の決断は後者だ。

このまま続けるより別の良い形がありそうだ、
と直感的に思った。
その理由を考える。

まずそもそもマーケットの目的は何だったか。
「より豊かな日常を、みんなで育むマーケット」
であり、
ここでいう豊かさとは、
当たり前のことを大切にできることであったり、何気ない物事の中にある幸せに気づけることであったり、
今ある日常を改めて見つめなおし、考えが及んでいなかったことや、気持ちが行き届いていなかった部分を洗い出して少しずつ改善していくこと。
暮らしときちんと向き合い、ちゃんと味わう。そのキッカケづくり。
具体的には、
顔の見えるつくり手のつくったものを食べる、使う、触れる。
感性が刺激されるものを見る、聴く、食べる、体験する。
それらを日常に散りばめることで、日常をより良くしていく。
そのための場としてのマーケットだった。

ZOMArketをはじめて丸2年。
マーケットを通じてたくさんの素晴らしい方々と出会い、
色んなキッカケやチャンスもいただけるようになった。
それこそがマーケットを開催してきたことの最大の収穫であり、
逆にそれらがあったからこそ、
そもそものマーケット開催の目的「=より豊かな日常を、みんなで育む」を果たすために取るべき手段は、「マーケット」でなくてもよくなった。
これが直感の根かな。
マーケットの開催は目的ではなく手段であり、
目指すべきゴールは「より豊かな日常を、みんなで育む」こと。
その為に、限りある自分の時間やエネルギーをいかにより効率的に使うか、いただいたご縁をどう活かすかを、改めてよく考えたくなった。

2年で明らかになった課題もある。
「無農薬の野菜への需要に対して、地域にそれを供給できる農家さんが少なすぎる」
ということ。同じく、
 「無農薬の野菜への需要に対して、日常的にそれを購入できる場が少なすぎる」
ことも大きな課題。
うちのように半農でもいいから、
無農薬の野菜の生産、供給に携われる仲間づくりが必要だと感じる。

また、すでに動き始めている新たな取り組みもある。
「学校給食無農薬化計画」。
これは幼馴染や南摩地区の地域の方々と一緒に進行中。
単に給食だけを変えるというだけでなく、実践食育に力を入れる地域づくりを目指す。
上手くいけば来春から少しずつ動き出せる。今はまだまだ机上の空論だけど。

来年は、今までマーケットの運営に費やしてきた時間やエネルギーを、
より効率的に地域の為に活かせるよう、どう使うかを熟慮した上で行動する。
もちろん、主導は僕でなくてもいい。
何か皆さんの取り組みで僕に協力できることがあれば、ぜひお声掛けください。
2年間本当にありがとうございました!

2017年10月30日月曜日

師を見るな。


「師を見るな、師が見ているものを見よ」

何かを深く考える時、
「あの人ならどうするだろう?」
と想像してみることがある。
その時の「あの人」として登場してくれる人は大体決まってる。
そして、
「あの人は今何を見ているか?」
本人に確かめさせてもらえる時間はとても貴重で、他には代えがたい学びの機会だ。

2017年9月5日火曜日

バランス。


直売所の営業日の夕方、突然小学生がやってきて、
「南摩の好きなところはどこですか?」
とインタビューを受けたことがあった。
たぶん授業の課題だったんだろう。

その問いに対して、その瞬間に、
「自然が豊か」とか、「人が優しい」とか、
そういうベタな答えしか頭に浮かばなくて、少し自分にがっかりした。

自分の中にもやもやとしていて、
しっかり方向性は掴めているのに言語化できていないことってたくさんあって、

「南摩のどこが好きなのか」
も、そのもやもやの一部だったことに、その小学生に気づかせてもらった。

そういうもやもやを言語化して自分の頭をすっきりさせるのも、
ブログを書く目的の一つだったりする。

だから考えたい。
「僕は南摩のどこが好きなのか」。
昔は南摩をただただ田舎だとしか考えていなかったけれど、
海外も含めていろんな場所を見て、「田舎」にはかなりの幅があることがわかった。
僕は暮らすなら田舎がいいと思ってる。
水や空気はキレイな方がいいし、自然の中で四季を感じながら開放的に過ごしたい。
しかし、不便さや窮屈さはあまり感じたくはない。

今思う南摩の良さは、
市街地までの距離、里山と平地の割合、人の量、生活必需品の手に入れやすさ、
これらが絶妙に僕の好みの塩梅になっているところ。

南摩は田舎と呼ぶに十分な景色がありながら、
鹿沼市街地までは車で20分、生活必需品は車なら10分以内に手に入る場所がある。
また、人里の周囲を低い里山が囲んでいて、山間地のような窮屈さは感じない。平地も広い。
人も家もあまり多くない。多くないけれど各業種の人材は揃っていて、何か困ったことがあれば誰かしらが解決してくれる。
こういうバランスの田舎は、意外となかなかない。
このバランスが僕は好きなんだと思う。
そうだな、バランスだな。
でもあの時小学生に、「バランスです。」って答えても、「はい?」って感じだっただろうなぁ。

2017年8月17日木曜日

蒔時はじまり。


念願のカフェ「蒔時(まきどき)」のはじまり。
思えば茜と出会ってすぐの頃、
お互いにパンとカフェの修業中で、
「将来はこんな店をつくって、こんなことをしたい」
と話し合った。
僕はパン屋をやろうと思っていて、茜はカフェを。
それぞれ店をやることは、その先にある目的のための手段として捉えていた。
僕の目的は、今となっては必ずしもパン屋じゃなくても出来そうだと思っていて、
実際に今はパンも畑もイベントも、いろんな取り組みを通じて達成を目指している。
対して茜の目的の達成のためには、やっぱり場所としてカフェがあるべきで、
彼女が力を最も発揮できるのも、輝けるのも、カフェなんだろうと思う。
だから僕もカフェをやりたかった。
ようやく、はじまりを迎えられた。
あの時話した目的を忘れずにいられれば、きっといい店になると思う。
店も、僕らも、どう育っていけるか楽しみだ!

2017年8月2日水曜日

2周年。


直売所をはじめて2周年を迎えた。
2年前、「一本杉農園」は僕個人を指すものだった。
それがやがて家族になり、2年経った今では、家族に加えて仲間も増えた。
自分だったものが自分ではなくなり、自分達になった。
うまく言えないけれど、不思議な感覚。
一本杉農園の核は今でも確かに僕だけど、活かすべきは僕ではなく、一本杉。
当たり前だけど、僕は今の、僕ではなくなった一本杉の方が好き。
「自分が大きくなろう」と思っていたのが、「この木を健やかに大きく育てよう」になったというか。
これからもっと深く根をはり、枝を伸ばして、気持ちのいい木陰がつくれるようになってくれたらいい。
日頃よりご愛顧いただき、誠にありがとうございます。この記事をご覧くださっている全ての皆さまに感謝申し上げます。


これからも一本杉農園をよろしくお願いいたします。

それと、2周年を迎えた日、
スタッフのみんながとても美味しいお昼ごはんを作ってくれて、
おめでとうラップも披露してくれて、記念のリースのプレゼントまで。
愛を感じました。本当にありがとう。

2017年8月1日火曜日

利己を極めた先にある利他。


読了。いい本だった。

全ての植物は、自らの種の繁栄のためにただひたすら利己的に生きている。
極めて利己的。
他者に対する優しさなどない。
しかし、世代を超えて徹底的に利己を極めたところに、利他が生まれる。
自らの種の繁栄のために、他者を利用する。そこにお互いにとっての利がある。

例えば、
植物は、花粉を食べてしまう虫を拒絶したり排除するのではなく、花粉の運搬役として利用し、
果実を食べてしまう巨大な敵であるはずの鳥や動物を、種の拡散に利用した。
植物にとって「共生」こそが、 世代を超えて導き出した最も合理的で効率的な生存繁栄戦略だったのだ。

それはたぶん、人にも通じる部分があって、
「自分のことばかり考えるな」「もっと他の人のことを考えろ」
と、よく言うけれど、
自分が良いように徹底的に考え抜いて、未来まで見据えて極めて利己的に振る舞うことが、
自己犠牲の感覚もなく、他者や環境に優しく生きることに繋がるのだろう。

その考えが極まらず、中途半端な利己的行動をとることは、必ずいつか自傷行為となる。
今はこの状態にあることが多い。
「自分のことばかり考えるな」「もっと他の人のことを考えろ」という言葉で、
利己思考を抑制するのではなく、徹底的に考え抜くことも大切だと感じた。

「共生」は、他に対して譲歩し、手を差し伸べる行為ではなく、
自らが生き残るための最善策だと、理解しておきたい。